信徒協スマホニュース2023年11月号

 

11月 死者の月『洗礼のろうそく:信仰の宝物』  2023年11月第31号

五反城教会 主任司祭 アルディー・ハヨン

 

復活のろうそくは、世を照らす真の光であるキリストのシンボルです。特に、死の暗闇から解放されたキリストの勝利の光を強調するシンボルです。カトリック教会では、洗礼式の時に、洗礼志願者は皆、復活のろうそくの元に立って、信仰を告白した上で、自分の手元にある小さなろうそくに、復活のろうそくの光で火を灯すのです。それは”キリストとの出会い、またキリストと結び合う印です”。さらに、私たちはキリストの復活によって、罪の暗闇から解放されて「光の子」とされたことを表します。そして、葬儀の時に、改めて復活のろうそくの元に、自分自身のご遺体を安置するでしょう。それは、使徒パウロが言われたように、「私たちは生きるにしても、死ぬにしても、キリストの者なのです。(ローマ14:7-8)と

 

私の地元(インドネシア)では、洗礼のろうそくのことは皆“信仰の宝物”と言い、“秘跡のろうそく”とも呼ぶのです。なぜ信仰の宝物かというと、初めてキリストと出会った時に受けたものだからです。キリストと出会った時の印だから、いつも大切にしているのです。しかも、他の秘跡を受ける時もその洗礼のろうそくを使うのです。

 

例えば、幼児洗礼の場合、洗礼の次は、小学生の頃に初聖体を受ける時、その洗礼のろうそくを持ちながら、司祭の前に、「主よ、赤ちゃんの時に、私をご自分の子として選ばれ、洗礼を授けて下さったことを感謝します。今、あなたの食卓を囲んで、永遠の命の糧を頂きたいのです。どうぞご聖体を私に」という希望の祈りを捧げるのです。そして中学生の頃に、堅信を受けるでしょう。その時も、改めて洗礼のろうそくを司教様の元に持って行き「主よ、これから世に派遣されていく私に勇気を授けてください」と願うのです。また結婚式の時にも、その洗礼のろうそくを持って、司祭の前で結婚の誓いを立てる時、「主よ、あなたの愛の光によって、私たち二人はどんな時でも互いに愛し合い、助け合うことができますように」と新郎新婦がそれぞれ自ら誓いを立てるのです。

最後に、いつの日か死を迎えた時、その洗礼のろうそくは、右の手にヒモで巻かれて、いっしょに持って行くのです。つまり、洗礼のろうそくはキリストと初めて出会った時の最も大切な印なのです。また死によってキリストと再会する時に、改めてそのろうそくを見せるのです。そして「主よ、あなたと初めて出会った時に、このろうそくを頂いたのです。この信仰の光によって、私は人生の旅路を生き、今、その旅を終えて、あなたが約束して下さった永遠の国に着きました。うぞ、このろうそくのように小さなものである私を受け入れ、あなたの真の光の元に招いて下さい」と主の前に最後の信仰告白をするのです。

以上は、インドネシアで洗礼のろうそくを宝物として大切にしている伝統のお話です。キリスト者として、私たちの「宝」は何よりも「イエスキリストへの信仰です。」その宝は永遠に価値あるものです。ですから、目に見える信仰の形である「洗礼のろうそく」をいつも大切にし、死を迎える時にも、その信仰の宝物である洗礼のろうそくを右手に持ち、誇らしく、喜びながら、主の元に参りましょう。

 

 

 

 

 

名古屋教区100周年聖年巡礼スタンプラリー!~ロザリオに願いを込めて~

岡崎教会 ガブリエル 神谷繁文

 

 昨年4月25日名古屋教区100周年を迎え、信徒使徒職協議会より配布された巡礼スタンプラリーを糧に、鳴海教会を訪れた時、対応された信徒さんが北陸巡礼に行かれた話を聞き、私達も最後に残ってしまった北陸への巡礼をしたいと思っていました。

教区聖年巡礼は今度の聖霊降臨祭で閉幕という話を主任司祭から聞き、背中を押され今回の巡礼実現となりました。

せっかく巡礼するので、巡礼指定教会はもちろんですが、その他のカトリック教会、及び他宗派のキリスト教会(聖公会・プロテスタント諸派)も訪れたいと思い、エキュメニカルな巡礼となりました。

この度紹介する福井・石川・富山の三つの教会は、それぞれ別の修道会が司牧しています。

敦賀教会(聖心布教会)へは初金ミサに与り、聖堂の梁に印象的な聖句が。

「わたしは道であり、真理であり、命である」偶然その日の福音のみ言葉に迎え入れられて驚きとともに感動しました。

その後の聖体礼拝式にも与る事が出来ました。

七尾教会(カルメル会)の聖堂に入った時、大きなフレスコ画が印象的でした。

カルメル会士の神父さんの親族の方がイタリアで仕上げて、取り寄せたものでイエスの生涯が描かれており、大変に美しい聖堂でした。

迎え入れて下さった信徒さんは、前日の令和5年奥能登地震の際にわざわざ教会が損傷していないか確認して下さり、大丈夫だったので私達の訪問が叶いました。

司祭不在の中、大変親切な受け入れをしていただき感謝に堪えません。

魚津教会(フランシスコ会)は、祭壇奥壁に描かれた大きな十字架の絵がとてもインパクトがありました。

磔刑のイエス様もリアルで、教会の歴史を感じさせる聖堂でした。

巡礼を終えて、教区司祭、各修道会司祭、信徒の皆さんが広い北陸の各小教区を協力し合って宣教・司牧している姿には深い感銘を受けました。

この地で福音に携わり、信仰を生きた先人達への感謝のうちに。アーメン。

 

 

 

児童養護施設 麦の穂学園・乳児院 麦の穂乳幼児ホームかがやきの子ども達

 麦の穂学園施設長 横川聖

 

 親の長期入院や経済困窮、虐待等によって親と一緒に生活できない子ども達、少子化の中でも虐待の相談件数は右肩上がりで増えています。そうした子ども達の受け皿になっているのが児童養護施設や乳児院です。本来子ども達は両親の元で愛情豊かに育つことが望ましいです。しかしそれがかなわない子ども達が、自分の将来に希望を持ち日々努力できるよう、日常生活を通して応援していくのが私たちの大きな使命です。

 

 このコロナ禍の4年間は、私たちにとっても大きな試練でした。感染予防に努めた日々、マスク生活はもちろんのこと、時間差での食事、常に衝立のある生活。感染した子どもが出れば、同じグループの子ども達の登校制限、感染者への対応職員は自宅にも帰れない状況。

もしくは出勤停止等、家庭から離れた生活をしている子どもには、親の愛情に代わる大人の存在、近くで寄り添ってくれる大人の存在が必要です。しかしコロナは、密を避ける。接触を避ける。会話を制限する。子ども達や職員間の距離を遠ざける生活でした。ワクチン接種もしました。日々の消毒、換気にも心掛けました。しかし子ども達も職員も感染しました。

施設でクラスターになった時、子どもを養育する職員が不足しました。そんな時、陽性になって療養している職員が、陽性になって隔離している子ども達のところで一緒に生活することを申し出てくれました。そうした職員に支えられてクラスターを乗りきることができました。夏祭りや子どもフェスティバル、クリスマスなど行事などもできない時がありました。

親の面会も制限しリモート面会を取り入れました。卒園生の来園も断り、社会の中で孤独と闘いながら生活している子どもへの支援も十分できない生活でした。職員同士の関わりも薄くなりがちで、悩みや苦しみを話す機会や気持ちの共有ができない状況もありました。

 

 しかし暗い話題ばかりではありません。このような状況下であっても、子ども達は不平、不満を職員にぶつけることなく、行動制限を受け入れてくれました。又職員の手が不足した時には大きい子が小さい子どもの面倒も見てくれる優しさに触れることができました。

行事に参加できず残念がっている卒園生が、多くの差し入れをしてくれたり、職員の献身的な関わりに救われたり、マスクが無いときに近所の方が手作りマスクを持ってきてくれたり、教会関係の方から心温まるご寄付をいただいたり、多くの方々から支えられていることの喜びを感じる機会となりました。

 

 コロナが5類となり、日常生活が戻りつつあります。今後も子ども達の笑顔を大切にし、子ども一人ひとりが自分の将来に希望を持ち努力していけるよう応援していきたいと思います。

 

 

 

会長 大橋 昌代

レジオ・マリエ

 

レジオ・マリエという言葉を聞いて「それって何?」という方は比較的新しい信者の方で、懐かしい名前だな」という方は比較的古くからの信者さんと思います。

レジオ・マリエは1921年アイルランドのダブリンという町で数名の信者によって始められて、世界中に広がった全世界的なつながりのある福音宣教のグループです。日本では戦後の1948年に長崎の高島教会でコロンバン会の神父様が始められました。レジオ・マリエは聖母マリアさまの精神に倣って、会員の霊性を高めることと、信徒として社会に福音宣教を行うことを目的にしています。聖母マリアの精神で全ての活動が行われます。その活動は伝統的には病院訪問や家庭訪問を中心に日曜学校やキリスト教講座のサポートなどが行われてきました。日本でも教会の場所や、ミサの時間、キリスト教入門講座の時間などを印刷したリーフレットや聖書の教えをわかりやすく説明したパンフレット等を近隣の家庭を訪問して配ったり、病院訪問で患者さんを力づけたりの活動が主力でした。この原稿を書いている私も生まれて初めてのボランティア活動は、近くの国立病院小児病棟での紙芝居や幻灯機を使っての日曜学校でした。この活動はレジオの活動として行われていました。

(もう50年以上前の話ですが・・・)昔はこのような活動からたくさ

んの信者が生まれ、司祭や修道者の召命も生まれていったと思います。

しかし、時代の流れと共に人々の生活の仕方や気持ちも変化して、人間関係は希薄となり、家庭訪問も病院訪問もする方もされる方も敬遠するようになりました。少子高齢化が進み女性の職場進出もあって、活動できる人も少しずつ減ってきて活動は停滞していきました。しかし、時代は再び、この活動の必要が求められるようになってきています。夫婦と子供二人が標準家庭だった日本も、今は単身者世帯が一番多くなり、その多くは老人の単身者世帯です。独居老人の孤独死がマスコミでも取沙汰されるようになり、見守りや声掛けの必要性が社会全体で唱えられるようになりました。その中には私たちと同じ信仰生活を過ごしてきたのに、今は健康上やその他の理由で施設に入所する人や、在宅でも思うように動けず、教会に行く足もなくなり、教会に行きたくても行けない方が増えています。その方々を訪問して教会の様子をお話ししたり、日頃話し相手のない方のお話を聴いたり、信仰生活に必要なご聖体をお届けしたりの活動は本当に必要になっています。この活動のためには、会員の信仰と霊性が必要になりますので、それを支えるためにレジオ・マリエには独自の集会が行われます。レジオは毎週決められた日時に1時間半以上の集会が決められた構成で行われます。ロザリオの祈り、霊的読書、司祭の講話、活動報告と分かち合いと意見交換が行われ集会の内容は秘密を守るようになっています。ずっと以前はほとんどの教会にレジオはありましたが、今、名古屋市には五反城教会、南山教会、平針教会、港教会でレジオ・マリエの集会が行われています。今、私たちはこのメンバーに加わって活動をして下さる方を求めています。