20243-4 ⽉ 第33

 

 

光⼭名古屋教区終⾝助祭「私は、召命の恵を頂き助祭になれた!」

 

1. 助祭職を⽬指した動機は何ですか?

幼い頃から豊橋教会で信仰教育を受け育てられた。⾼校卒業後⼤学⼊学と同時にマリア会修道会に⼊会し、司祭になる為の勉強を始めた。1970年代は学⽣運動が盛んで社会も不安定なときであった。多くのことで悩み葛藤し、司祭への道はあきらめ、修道会を退会した。

今思うとその頃は、10⼈の神学⽣の内、実際に司祭に進むのは⼀⼈ぐらいであったと思う。卒業後⼀般職に就き、⾊々な仕事をしたが、幼稚園バスの運転⼿もした。55歳になって再び召命の恵が与えられたのではないかと思う。助祭への道は、ずっと親交が深かった

⽯脇神⽗様が応援して下さった。後から考えると彼が私にその道を⽰し、指導して下さったからだと思う。

2. 司祭と助祭の違いは何ですか(助祭とは)?

聖書的に云うと、司祭はミサの執⾏者で聖変化を中⼼とする儀式を⾏う。助祭は教会の補助者(奉仕職)である。

※奉仕職(執事)はラテン語でディアコヌス(diaconus)と記される。名古屋教区での終⾝助祭は既婚者(もちろん未婚者)でもなれる。助祭になるには、信仰(知的、霊的)の助けが必要で、学歴は⾼卒以上の男性、年齢的には60歳以下で志願する。教会の規定に従って叙階され聖職者になる必要がある。⽇本には、現在約27名の終⾝助祭がいて、名古屋教区には3名いる。

3. 助祭には給与がありますか?

名古屋教区では、終⾝助祭にはそうした制度は無く、⽣活のために働きながら助祭職を務めるのが現状である。しかし実際の活動に関する費⽤については請求ができる。

4. 休⽇はありますか?

休⽇は基本的に⾃分で作っている。しかし、今の所休みはなかなか取れないのが現状である。義務として毎⽇、「教会の祈り」をしなければならない。

5. 光⼭助祭の希望は?

与えられた仕事を⾝体の続く限り全うしたい。<取材者からの光⼭助祭の感想>

⾮常に親しみを持って、会⾒ができました何事も丁寧に、兄のような接し⽅で話をして下さった。会⾒後には主税町教会内を案内し説明をして下さりとても素敵な⼀⽇でした。

スマホニュース取材記録 ⽇時:2023.10.11 AM10 時から 場所:カトリック主税町教会(;主税町記念聖堂)にて 主税町教会の管理⼈である光⼭終⾝助祭に取材を⾏った。

取材者(スマホニューススタッフ:近藤、岩下)

 

 

 

2023年 秋の講演会(要約・抜粋)

 

鈴⽊ 隆(東京教区荻窪教会)霊性センターせせらぎスタッフ

 

テーマは「輝かそう、キリストの光」、副題として「信徒使徒職」ということですので、最初に私⾃⾝の紹介をさせていただきます。

4 年前に⼤腸がんステージⅣが⾒つかり、余命2 年半と⾔われて、「恐れるな」というみ⾔葉で、神様にお任せしようと⼼に決めて⽣活してきました。⼀時がんも消えまして順調に健康を取り戻しましたが、今年の夏、⼩さながんが⾒つかりまして、今、抗がん剤治療中で体調は万全ではありませんけれども、こうして名古屋教区からお招きを受けて、やって参りました。

1949 年⽣まれの74 歳です。1975 年に結婚して3 ⼈の⼦どもを育て、今は5 ⼈の孫に恵まれました。私⾃⾝は上智⼤学、⼤学院で社会学を学び、その後は研究所に勤めながら、⼤学でも社会学を教えて参りました。

信徒としての⼀番の柱になるのは何かというと、⾃分の⾷い扶持(くいぶち)は⾃分で稼ぐという、責任をもって社会⽣活を営んでいくことです。⾃分がやるべきことを社会の中で⾒つけ、そこに貢献し奉仕して、対価、収⼊を得て⾃分の⽣活を整えていく。そして、⽣活費の中から⼗分の⼀を差し出して司祭、修道者の⽅々を⽀え養わなければならない責任を持っています。私たち信徒は稼がなければいけないのですね。そこで私の⼀番⼤きな収⼊は何だとご想像なさいますか? 葬儀屋です。私の所属する教会は⼩さな⼩教区ですが、当時1 年間に58 ⼈の⽅が亡くなられて、そのたびに典礼奉仕が必要でした。葬儀屋さんは良くしてくださいますが、残念ながら教会のことはあまりご存知でない。そんな時、先輩の⼀⼈が誰か教会の中で葬儀屋をやってくれると助かるんだけどな〜と⾔われたことから、⼩教区の同世代の友⼈と、他の仕事も続けながら葬儀屋を始めました。もう25年になります。先⽉は9件、私の⽣活の基盤となっています。

今⼀番深く関わっているのは、カトリック校のマネジメントです。司祭・修道者の数は減少しています。学校にシスターを送れず、神⽗様も少なくなって、カトリックの精神を伝えていくことが難しくなっています。⼦どもたちは勿論ですが、保護者の⽅々、先⽣⽅にどのようにキリスト教の精神を伝えるか教えてほしいと⾔われ、そのために働かせていただいています。4つの学校法⼈を理事として⼿伝っています。

その他、これは教会とは関係ないのですが、どちらかというと社会貢献に関わる儲からない会社の役員です。IOSという会社でカンボジアの農地の地雷を撤去する、地雷除去のロボットの開発をしている会社です。農⺠が⾃分たちで操作できて地雷を除去できるロボットの開発を進めて、カンボジアで2022年に5号機を完成させ、11⽉には地雷原での実⽤が開始されました。地雷撤去作業員の⼈的被害をゼロに抑え、しかも敏速に掘削を⾏うことができるロボットの完成です。現在、量産化に向け6 号機の製作にあたっています。(https://iosʼrobot.com/) 今ウクライナで地雷がまかれていますね。まく側はどこにまいたか記録がないので、後で探すのが⼤変です。⾬⾵にうたれて表⾯に落とされたものが⼟の奥深くに埋まってしまっているのが現状です。

また、上⽯神井の霊性センター「せせらぎ」で、25年前の創⽴時からスタッフとして活動しています。現在担当しているのが「祈りを深めるための研修会」*(1)と「霊的同伴者の養成研修会」です。霊的同伴者、昔の⾔葉で黙想指導者の養成のためのコースを担当しています。

このように、何が本職なのかわからないでしょうが、仕事、現場を私⾃⾝の頭の中で整理しミニストリーとして派遣される場所で責任をもって仕事をしています。その根底にはミッション、使命というものがあって、その⾃覚がなくて関わると⾃我が崩壊してしまいますね。⼤学で教えている私と、葬儀屋として現場で働く私がバラバラにならずに、⼼を⼀つに保てるかというと、その根底に私の固有のミッション、⼀⾔で⾔いますと、「今⼀番必要とされている⼈のところへ駆け付けて、その⼈と共にいること」があるからです。学⽣たちは苦しんで恐れの中にいます。

不安で苦しんでいる、その中で私が学んできた確かなことを伝える姿勢と、霊安室の前でお⼦さんを亡くして取り乱している⼈に寄り添う私は、同じでありたいと思っています。⾃分の奉献⽣活の軸をぶらさずにやっていくために、固有の使命(ミッション)を⼤切にしています。

先⽉シノドスが終わりましたが、教皇フランシスコはシノドスを「ともに歩むこと」とし、キリスト教がどうあるべきかを、そのためにどう歩めばいいかを、3千年期を⾒据えて旅を始めよう、と投げかけました。そのためには、聖霊に聴くことで、⼤切にされたのは「傾聴と対話」です。⾃分のことばかりではなくて他者との対話、⼈間同志だけではなくて神様との対話も⼤切です。

平和はキリストの願いです。⼼穏やかに、皆が仲良く暮らす、そのためには不正義があってはなりません、私たちの⼼が愛に満たされていなければいけません。⾃分のことより⾃分を犠牲にしても、他の⼈を⼤切にする⾏い、愛の実践、それは難しいことではありません。⼤切にする、その⼈を⼈間として認め⼤切にする、そこが愛の原点で、それがキリストの平和の源です。そのための信仰⽣活の3本柱は、霊性・共同体・使命です。教会の中でも仲間を作って活動をすることが求められます。

霊性とは神様とどう関わるか、どう祈るか。祈りは⽇本⽂化では、願うということだけで⼀⽅通⾏。キリスト者の祈りは双⽅向でなければいけません。⾃分と神様の関係を深めていく、神様と対話するのです。

共同体についてですが、450年前の⽇本には「組」というものがありました。「ミゼリコルディアの組」、「ご聖体の組」、「さんたまりあの組」などです。500年ほど前に聖フランシスコ・ザビエルが⽇本にキリスト教を伝えました。その頃、イグナチオの霊性を信徒の⾝分で⽣きるコングレガチオ・マリアーナという使徒職団体がローマで公認されて、ザビエルは⽇本でそれを「さんたまりあの組」として拡げました。信徒でありながら聖霊に聞き、識別をする、意識の究明を⽋かさず 苦しんでいる⼈に寄り添っていくというミッションを⾃覚した共同体がありました。霊性・共同体・使命というキリスト者の3本柱を⽣きた信徒たちがいました。

ミッションは⼀⼈ひとり違います。ですから、⾃分の⽅向性の軸を定め、それを⾒つけていくことが重要です。識別は簡単ではありません。どのように識別するか、それは経験を重ね、感覚を磨く必要があります。特に、悪を退ける感覚です。悪の働きについては、ヨブ記が参考になります。神様に呼ばれた悪魔が、ヨブの信仰を試すために、ヨブを困らせてよいか許可を求めます。神様は許可しますが、ヨブに直接⼿を出してはならないと⾔います。悪魔は、⼦どもの命を奪ったり、家畜を奪ったりしますが、ヨブの信仰は揺るぎません。もっとヨブを困らせてよいかと悪魔は神様に許可を求めます。すると、ヨブの命を奪ってはならない、それを守るなら苦しみを与えてもかまわないと⾔います。ヨブは重い⽪膚病にかかりますが、神様への信仰は揺るぎません。

悪魔の本質は妬みだと思います。神様がヨブを信頼し、ヨブが神様を敬い畏れていることが、たまらなく嫌なのです。ですから、何とかして神様とヨブの関係をぶち壊そうとするのでしょう。

悪魔はいるのです。存在するのです。それがキリスト教の教えです。ですから、私たちへの促しが、聖霊の働きなのか、悪なのかを識別します。霊動弁別ですね。どうやって⾒つけるか⼤きな課題です。そのためには意識の究明を⽋くことができません。⼀⽇⼀⽇を振り返って、過去の霊の促しのもとを⾒直し、それを積み重ねて、悪霊か聖霊かどちらが働いていたのかの経験を積めばだんだんわかってくるものです。毎⽇繰り返す。1週間、1か⽉ではない、数年、数⼗年かけてようやく⾃分の弱さがわかってくる。

先にお話しした「さんたまりあの組」で共同体の中で意識の究明をやっていた400年前、毎⽇の朝の務めと夜の究明が規則になっていました。意識の究明を3分でいいから毎⽇続けてくださいと、私はずっと「せせらぎ」の研修会で⾔い続けて来ました。ところが、昨年、教皇様は⼀般謁⾒で、毎⽇2分間でいいから意識の究明を毎⽇続けてください、と話されました。

⼼を尽くし魂を尽くして、神様の望みに応えていくことに、⽣涯をささげたいと願っています。隙間があれば平和を打ち壊そうと近づいてくる悪魔のたくらみに乗らないようにいたしましょう。

ご清聴ありがとうございました。

*(120244 ⽉より「祈りを深める研修会」を主税町教会にて開催します。詳しくは⼩教区に掲⽰されるポスターにてご確認ください。

 

 

 

キラリと光る愛の宝を

 

城北橋教会 朝⾒ 鈴⼦

 

私の40歳の時、名古屋駅のホームレスの救援活動のため、名古屋カトリック教会では週2回の炊き出しを始めました。当時の名古屋駅は⽇毎に路上⽣活者が急増していました。私はその救援活動に進んで参加しました。12⽉23⽇、相⾺司教様と現場に⾏きました。地下鉄の駅構内で年⽼いたやせ細った⼈々、仕事も出来そうにない⼈、若い⽇雇い労働者などいずれも顔⾯は浅⿊く酒気を帯びた⼈々がいました。ホームレスという⾔葉もあまり知られていない時代でした。

イエス様が泣いておられるような気がしましたので、他の⽇にも⾷事の援助が必要だと痛感しました。そして皆様に呼びかけました。幸い友⼈が津島教会のM(⽔野美波⼦)さん、平針教会のK(⼦⿅明⼦)さんが賛同して下さいましたので毎⽇奉仕活動を始めました。

洗濯・掃除・料理を夫や⼦供のためにしながら毎⽇家でおにぎりを作り、夜となく昼となく出かけました。⼥だけで夜の繁華街に⾏くのには勇気がいりました。駅周辺には路上⽣活者もヤクザの⼈もいました。路上で亡くなる⼈々や年⽼いて仕事が出来なくなった⼈々が⼼配で、毎⽇神様に守られながらその⽇に出会った⼈々に声を掛け、健康状態を尋ねました。暑い熱帯夜も雪降る寒い夜も毎⽇休みませんでした。神様を信じ祈りなしでは出来ませんでした。そして祈り続けました。おにぎりや⾐類を持参するだけでなく会話をしました。神様が愛して下さっている話をしました。台⾵や⼤雪など、そんな⽇こそ⼼配して凍えている⼈にはマフラやコートも脱いで、着てもらいました。⾮⼒と限界を痛感しながら続けました。

私は家庭の主婦で主⼈も⼦供もいていつも優しく励まして協⼒してくれました。その間、予期せぬ病気や怪我、⼦供の受験問題そして癌末期の主⼈を看取り亡くしました。信者さんの愛に主⼈や⼦供達の愛に⼼より感謝しました。主⼈が召された⽇は休みましたが、苦しい看病中も喪にふせて泣いていた時も決して休みませんでした。神様が弱い⼈々を愛しておられるのが分かっていましたから、病院訪問や炊き出しのための資⾦作りのためのバザーにも参加しました。多くの⼈々の善意と協⼒のおかげです。

ある⽇ホームレスのおじさんの頭にでき物が化膿して傷は異臭を放ち⼼配でしたので、病院に⾏くように⾔っても私が薬をつけさせてほしいと⾔っても拒んでいました。ある⽇やっと⼿当をさせてくれました。ぷよぷよとした膿の出る患部に薬をつけました。毎⽇どれほど苦しかったと思うと私は泣けました。彼も泣きました。友も泣きました。相⾺司教様は

いつも天国に宝を積むように⼩さなことでもいいから「キラリと光る愛の宝」と⾔っておられました。

神様の愛を忘れることなく⼿を取り合い分かちあえますように。いつも祈りつつ神様、司教様、神⽗様、シスター様、信者の皆様に⼼より感謝、主⼈と⼦供に感謝。